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東京ディズニーリゾートが千葉にある理由と「東京」と名乗る理由

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1983年にオープンして以来、世界中の人から愛されている東京ディズニーリゾートですが、東京ではなく千葉にあることは知られています。

一方で、なぜ千葉にあるのに「東京」ディズニーリゾートなのか、そもそもなぜ千葉にあるのかはあまり知られていないと思いますので解説します。


参考図書はこちら。

「夢の王国」の光と影

「夢の王国」の光と影

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『「夢の王国」の光と影―東京ディズニーランドを創った男たち』
オリエンタルランド社が設立され、東京ディズニーランド誘致構想が始まってからオープンするまでの20年余りの苦労や闘い、スキャンダルについて細かく取材された結果が記録されています。

ディズニー好きなら知っておきたい東京ディズニーランドの裏側が分かりますよ!

ディズニーランド誘致合戦

ディズニーランドの建設候補地は、浦安のほかに富士山麓が挙がっていました。


しかし、アメリカのディズニー本社側が日本にディズニーランドを造るために候補地を探したのではありません。

ディズニー本社はもともと日本にディズニーランドを造ることなど考えておらず、アメリカ(カリフォルニア、フロリダ)の次に建設するならヨーロッパと考えていたようです。


一方、日本にはディズニーランド誘致案がオリエンタルランド三井不動産による浦安案と、東宝三菱地所による富士山案の2案がありました。


日本の長年にわたる根強い交渉が実を結び、ディズニー側は日本にディズニーランドを建設することを決めました。

そして、1974年に両グループによるプレゼンを行い、どちらの案を採用するかが決定しました。

結果は、皆さんご存知のとおりです。


ディズニーランド誘致は、三井と三菱の代理戦争とも言えました。

日本誘致案

浦安案(オリエンタルランド三井不動産

オリエンタルランドは、浦安沖を埋め立ててレジャーランドを建設することを目的として、三井不動産京成電鉄の出資を受けて設立された企業です。

三井不動産は今でも東京ディズニーリゾートのスポンサー企業として残っていますよね。


都心から近いベイエリアで、首都圏の3,300万人がリピーターとして見込める浦安は立地面で非常に優れています。

富士山案(東宝三菱地所

東宝は当時ディズニー映画の配給を行っていました。

オリエンタルランドは、東宝にはディズニー本社とのコネがあるため東宝を味方に引き込むことで交渉を有利に進めようとしましたが、東宝はその時には既に三菱地所と組んだ後でした。


富士山のふもとの広大な土地で、パークのどこからでも日本のシンボルである富士山が見える、自然豊かな立地です。


後に富士急ハイランドが造られた場所かなと思いましたがそうではなく、富士スピードウェイというレース場の辺りが候補地だったようです。


富士山を上から見たとき、富士急ハイランドは1時の方角(北北東)にあり、富士スピードウェイは3時の方角(東)にあります。

ディズニーが提示した不平等条約

ディズニー側にはブランドや権利が強いという考えがあるため、非常に強気な条件を出してきました。

その条件とは、ディズニー側はいっさいカネを出さない、土地も出さない、入場料の10%のロイヤリティ・フィーは払えというものです。

つまりディズニー側はノーリスクで日本にディズニーランドを建設し、儲けを得られることになります。

ディズニーというブランドやミッキーを使うということにはそれだけの価値があるという強い意志を感じますね。


なお、ディズニーのテーマリゾートはアメリカのカリフォルニア、フロリダ以外にも、パリ、香港、上海と3か所ありますが、これらはディズニー本社の直営です。

フランチャイズ形式で運営しているのは東京ディズニーリゾートだけであることを踏まえると、リスクもリターンも全て自社で受けるべきだということをディズニー本社に痛感させるほど、日本での成功が大きかったといえます。

交渉結果

ディズニー側はオリエンタルランド浦安案を採用しました。


富士山案が却下されたのは主に次の3つの理由があります。

  1. 三菱地所がディズニー側の条件をのめずに断った
  2. 富士山が見えて自然豊かであることが夢の国にふさわしくない
  3. 交通の便が悪い
ロイヤリティ・フィー

入場料の10%のロイヤリティ・フィーというのは、三菱地所だけでなくオリエンタルランド側もかなり難色を示したところですが、ディズニー側はフィー割合の交渉には応じないとの一点張りでした。


三菱地所は採算が取れない可能性があるため、経営判断として誘致を見送ります。

建設予定地の富士山麓の土地は、三菱地所の自社用地だったため条件次第で蹴ることも可能でした。


一方のオリエンタルランドは、ディズニーランドを浦安に誘致することを既に発表していたり、ディズニーランド誘致を前提に土地を千葉県から安く払下げられているのでなかなか引けません。

川崎千春という当時の社長が採算は二の次で、まずは何としてもディズニーランドを誘致したいという考えだったからこそ、この条件をのむことができました。

富士山が見える

日本人にとっては、殺風景な東京湾埋立地よりも、自然に恵まれた富士山麓の土地の方が魅力的に映りますが、ディズニーランドは自然を徹底否定して造る人工の楽園です。

現に浦安に建てられたディズニーランドは、パーク内から外の世界がいっさい見えないようにすることで非日常を演出しています。


パークのどこにいても富士山が見えることはディズニーランドの立地としては、かえってマイナスでした。

交通の便

首都圏から離れすぎていることが難点でした。

日本の人口は首都圏におよそ3分の1が集中しているため、首都圏から行きやすいことが重要です。

東京から新幹線で富士山へ行くとすると、三島までおよそ40分、4,000円で行けますが、浦安の立地には敵いません。

千葉に造られた理由

ディズニーランドが千葉に造られた要因は大きく2つあります。

  1. 東京と川を1本挟んだ千葉の浦安に海を埋め立てるという事業があった
  2. ディズニーランドを誘致したいという人物がいた

『「夢の王国」の光と影―東京ディズニーランドを創った男たち』でも、浦安の埋め立ての話が半分近くを占めており、「なんでこんなに埋め立ての話ばかり、、、」と思ってしまいますが、東京ディズニーランド誘致は埋め立て、とりわけ「土地」に始まるわけです。


土地はカネになるので、住宅地やビル、工場、ホテル用地として売買すれば手っ取り早く稼げますし、現に三井不動産側からは、ディズニーなんてやらずに住宅地として売ればよいという話も出ていたようです。


ディズニーランド誘致が実現したのは、頑なにディズニーをやるんだ!という意思を貫いた川崎千春初代オリエンタルランド社長と、その意思を受け継いだ高橋政和2代目社長の功績が大きいと言われています。

千葉にあるのに「東京」ディズニーランドと名付けられた理由

私もディズニーランドが東京ではなく千葉にあると初めて知ったときは衝撃でした。

どうして千葉にあるのに「東京」と名乗るのかと疑問ですよね。


外国人にとって「TOKYO」の知名度が高いですし、私たちが外国人から「千葉ってどこにあるの?」と聞かれたら「東京の隣」と答えるのではないでしょうか。

世界を相手にするならば「CHIBA」よりも「TOKYO」とするのが納得です。


「JAPAN」でも良いような気もしますが、東京と付くことによって、日本人にとっては大体の位置が分かるのでバランスのとれた名称だと感じます。

北海道の人などは飛行機でアクセスしますが、降りるのが羽田空港なのか、伊丹空港なのかがすぐに分かりますよね。



ちなみに、「ディズニーランド・パリ」もパリには所在しておらず、パリ郊外の隣町「マルヌ=ラ=ヴァレ」というところにあります。


我々日本人からすると、「マルヌ=ラ=ヴァレ」と言われても分からないですし、「フランスのパリ付近にある」ことが明白に分かりますよね。

これを知ると、「千葉と名乗れよ!」と言いたくなる気持ちも少し落ち着くのではないでしょうか。

まとめ

本の一部を紹介する形で、千葉に建てられた理由を解説しました。

「夢の王国」の光と影

「夢の王国」の光と影

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土地や建設が絡むと汚職やスキャンダルが起きるのがこの国の特徴でもあり、オリエンタルランドも度々スキャンダルに巻き込まれ、週刊誌の取材攻撃を受けたようです。

そういった影の部分も紹介されておりますので、是非ご覧ください。


なお、紙の本は廃盤になっていて中古で1万円ほどで取引されているため、電子書籍での購入をおすすめします。


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